【第13回】クロスフィールド・トーク-「ある、ない」に惑わされてはいないか?-佐藤裕亮×赤羽良剛

2015年12月24日

IT技術の発展に伴い、世界は一気に広がったと同時に狭く感じられるようにもなりました。
多様性を求められる昨今において、思想や文化の異なる人々との関わりや大量に押し寄せる情報に、自分を見失いそうになることも。取捨選択を迫られる日々をどのように過ごしているのか、中国仏教史の若き研究者、明治大学大学院博士後期課程 佐藤裕亮氏に伺った。

「ある、ない」に惑わされてはいないか?

赤羽 仏教は世界各地に広がっています。日本の仏教は非常に温和だと感じられているのではないかと思います。これは中国でも同様なのでしょうか?また、他の宗教に比べて特徴的なことはありますか?

canvas-13-02佐藤 仏教は各地の文化や生活習慣を取り入れつつ、ときに各地の社会に根ざした形に変化しながら広がりをみせてきました。そのため、仏教の内部には一見して矛盾するような言説や思想が見られることも確かです。しかしこれらは、歴史的にみれば、その時々の社会や文化において受け入れやすい形に変容していったひとつの結果であって、基調となる思想そのものが大きく異なるものであった、というわけではないように思います。

赤羽 思想は軸となる部分ですね。根底にはどんなことがあるのでしょうか? 厳格な形式を重んじる宗教もあると思いますが、どのような点が違うのですか?

佐藤 たとえば、仏教の中にも規則を厳格に守っていこうという流れは古くからありました。僧伽(サンガ)というお坊さんの集団で守られている規則のことを律(ヴィナヤ)といい、そのきまりは200以上に及びますが、実際に、これらを今日の日本の社会生活の中で行おうとするのは、なかなか難しいと思います。

仏教は、僧伽の中だけのものではありません。厳格さも時には大切ですが「規範を守る」ことにとらわれすぎるよりは、「より善くあろうとする心を保つ」というふうに、少し緩やかに捉えたほうが受け入れやすい場合もありますよね。すこし語弊があるかもしれませんが、とくに日本、中国をはじめとする東アジア地域における仏教の場合、こうしたある種のゆるやかさの上に育まれてきた一面があるのではないかと、私は考えています。

canvas-13-03赤羽 確かにそうですが、でも「何でもあり」ではありませんよね?多様化を迫られる社会において、宗教戦争は頻発し、経済的格差や心の問題、生きる目的探し等、様々な課題を抱えている今を生き抜くには難しいと感じている人もいます。諦めにも似た境地にいる人もいるのではないかと思います。仏教史の研究者である佐藤さんはこのような状況をどう受け止められているのですか?

佐藤 「ある、ない」に惑わされないことが大切ではないでしょうか。

まずは、多様な現実を直視しつつ、そのありようをそのままに受け止めてみることです。一呼吸おいて見つめていると、見えてくるものもあると思います。正解はつねに一つではありません。