歳を重ねるにつれ、他人の言葉遣いが妙に気になってくるようになってきた。それまでは聞き流していた単語や言い回しに、引っ掛かりを覚えるようになってきた。なぜ、そこで、そのような言い方をするのか、それには意味があるのか、それとも、意識せずに、不適切な単語、意味が伝わりにくい言い回しをしてしまっているのか。そして、そのような引っ掛かりを多く感じる人の話には、一定の距離を置くようになってきた。

この現象は、笑いにも当てはまる。いや、笑いのほうが、はるかにそのような引っ掛かりを覚えるシーンは多いだろう。

それは、日本人特有といわれるアルカイックスマイルのごとき作り笑いのことを指しているのではない。

それは、三つのパターンに分けられるように思う。ひとつめは、異論、否定や断りなどの文言とともに発せられる笑いだ。場に生じる軋轢を抑えるためのものだということは明白だが、それが意図した効果を生み出しているだろうか。多くの場合は失敗しているように思うのだ。逃げ腰、責任回避といった、背後にある意識が、笑いを挿入することで、かえって浮き立ってしまうことは、ままある。

ふたつめは、相手のセリフに、言葉少なに同意したり、躊躇いの意志を示しながら抑え気味に含ませる笑いだ。積極的な姿勢は見せたくない、意思決定を先延ばしにしたい、という意志表示であり、これは、意図通りに伝わることが多い。その代わり、信頼を損ねることは覚悟しなくてはならない。

みっつめは、返答の前に無言で差し挟む、意味深長なふりを装う笑いだ。大概は、なんと返そうか言葉を探している。何も考えがなかったか、思っている通りに発言すると感情を逆なでしてしまうか、あるいは、話をちゃんと聞いていなかったか。

笑いは、自身が楽しい、可笑しい、ということを伝えるための、あるいはそう思わせるための行為である。その目的外使用が多発しているわけだが、とても危険なコミュニケーションだといわざるを得ない。見ている人には、底の浅さばかりが印象に残る。

かくいう私も、この手の笑いの常習犯である。そして、引っ掛かりを覚えるようになってからも、無意識のうちに目的外使用をしてしまっている。大人になるのは、難しい。